以前、中日新聞の高橋さんにこういう記事を書いていただきました
松ケ根部屋の一番弟子だった嶋の龍には5歳違い
の弟がいた。
弟は兄を追い同部屋に入門した。
二人のふるさと、愛知県豊田市の実家では二匹の
大型土佐犬が飼われている。
「息子を二人取られちゃったから」―。
兄弟力士の母、善子さん(五一)が抱いた
寂しさが、みづえさんの頭から離れなかった
嶋の龍は自分から人の上に立つタイプではない。
でも料理がうまく、裁縫も自分の浴衣なら
仕立ててしまう。
勝手口の扉の修理も手掛ければ、
得意の似顔絵でみんなを楽しませてくれた。
新興部屋は自然と、
部屋頭の彼を中心に回っていた。
しかし、関取の夢には一歩届かずじまい。
1999年1月、28歳を目前に、角界を去った。
親方の計らいで、松ケ根部屋では初の断髪式
が行われた。
親方が貸してくれた紋付きはかまが、
しぼんだ体を包んだ。
10年間、びんつけ油が染みこんだまげが
切られていく。
「これでお一人をお母さんにお返しできる」
みづえさんは、嶋の龍と
その母親の顔をだぶらせた。
「これが終わりではない。これからが始まり」
みづえさんは引退を決意した嶋の龍に
言い続けてきた。
一人の後援者が「部屋の第一回卒業式だね」
と言った言葉が気持ちよく心に響いた。
この世界、夜逃げもあれば、けんか別れもある。
辞めてしまえば、音信不通になる弟子も多い。
一番弟子の引退は寂しかったが、断髪式で
正々堂々と、新たな道へと
送り出せることはうれしくもあった。
あれは97年夏場所。
東幕下3枚目の嶋の龍は3勝3敗で千秋楽
を迎えた。勝てば、部屋待望の関取が
誕生するはずだった。
が、負けた。
みづえさんは、その瞬間を、相撲部屋の
自宅のテレビで見届けた。
「お疲れさま」。
両国から戻ってきた弟子に掛けることが
できたただ一つの言葉だった。
「残念だったね、なんて言えなかった。
そんな一言で片付けられるほど軽いものじゃない。
国技館から電車に乗ってここまで戻ってくる
あの子の気持ちを思うと・・」
天と地を分けた一戦。
みづえさんは嶋の龍の母親に電話を入れ、
お互い、沈む心を慰め合った。
嶋の龍も、会話はなくても、おかみさんの
気持ちも十分に察していた。
実家に戻りちゃんこ料理店を営む日々。
昨年秋場所、相撲部屋では自分のことを
「春山さん」と名字で呼び続けた弟
(現、春ノ山)が自分の果たせなかった
十両昇進を決めた。
昇進を確実にする白星を挙げた直後、
自宅の電話が鳴った。
おかみさんからだった。絵心のある兄は、
弟の化粧まわしのデザインを頼まれた。
みづえさんは振り返る。
「兄は夢がかなわなかった。
でも、弟はかなえた。
弟には化粧まわしで兄貴と一緒に
晴れの土俵に上がってほしかった」
(黒い紋付を着たイケメンのほうが私です)